永代供養など多くの故人様へのお勤め(ご供養)を執り行った、実績と皆様から厚い信頼を得て開かれている担景寺は、浄土真宗本願寺派の寺院であり浄土真宗本願寺派のみではなく、過去・現在(生前)在来仏教を信仰していた故人様の 永代供養を 受付ております。     

 

担景寺の門徒になりまして、一般墓をご用意している宗派は浄土真宗本願寺派ではありますが、生前(過去・現在)に故人様が在来仏教に信仰をしていてもご丁寧に葬儀・法事をお勤めを執り行い、本尊でもある阿弥陀如来のお力によって死後はお浄土に導いていただきます。

担景寺にある永代供養付永代供養墓 個別墓(家族墓 夫婦墓  個人墓) 合同墓 合葬墓は、独身者・後継者の無い方などの身寄りがない方やご遺骨(骨壷)をお持ちでお困りの方などのご遺骨(骨壷)を納骨しており、代々の住職によってご丁寧にお勤めを執り行っております。

永代供養を執り行っている担景寺は、宗祖・親鸞聖人が阿弥陀如来または南無阿弥陀仏を本尊として開いた浄土真宗本願寺派の寺院であり、故人様が生前に(過去・現在)在来仏教を信仰していても、葬儀・法要等 お勤めを執り行いますが、故人様のお勤めは、浄土真宗本願寺派の法式として執り行います。    

 

担景寺は、皆様にとって大切な故人様をご丁寧にお勤め(ご供養)を執り行い、葬儀や法事等、納骨(埋葬)の方法に関するご相談についても随時に ご対応しております。  

 

般若心経を浄土真宗ではお勤めしない理由

 

浄土真宗の教えは、愚かな人間が阿弥陀仏のはたらき(南無阿弥陀仏)を信じお念仏をして浄土に往生し仏となることを明らかにしているのです。

親鸞聖人によると、念仏は単にわれわれ人間の側から称えるものではない。仏の願いに目覚めさせようとする仏からの呼び声である。すなわち心から念仏を称えようと思ったとき、その人は阿弥陀仏によって救われているということである。

多くの宗派でお勤めされている般若心経ですが、浄土真宗ではお勤めしません。なぜなら浄土真宗の教義とは異なる要素を含んでいるからです。

浄土真宗は、阿弥陀如来の本願(必ずあなたを救うという誓い)にお任せし、この人生を歩ませていただく教えです。

般若心経の内容(空)が体感でき、そのとおりに行動できる人とそうできない者がすくわれる道が(南無阿弥陀仏)の念仏の教えであります。

般若とはサンスクリット語を音写したもので(仏の智慧)という意味です。

般若心経は 般若=智慧の完成を目指すことを教える経典です。お釈迦さまの大事な教えが説かれているのですが、、煩悩を絶ち、真の智慧の完成しなさいと説いているのです。

ただ(お勤めしてはいけない)と拒否するのではなく(お勤めする必要がない)という姿勢が正しい解釈です

まとめてみると・・・・・

一般的に仏教ががどのように受け止められているかといえば、難しいお経を覚えたり、苦しい修行の経験を積んだり、欲望を切り捨てなければ入門できないものだという固定観念があります。

これは困ったことです。親鸞聖人の教えは、そういう人間の経験や能力をまったく問題にしていません。もし、そういう能力や経験を問題にするのであれば、仏教が(エリートの仏教)になってしまいます。苦行ができる体力や知力や、精神力のある優れた人間だけが救われる教えになってしまいます。

智慧と行によって煩悩を断ち切ろうと教える 般若心経 に対し、浄土真宗の教えは、阿弥陀如来のお力に一切のはからいを捨てておまかせし、それによって救われるというものです。

したがって真宗の門徒さんが 般若心経 をお勤めすることは、かえって阿弥陀如来のお力を否定することになりますから、浄土真宗では 般若心経  をお勤めすることはないわけです。

歎異抄より

ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。

 

浄土真宗本願寺派の教え

浄土真宗本願寺派は(他力本願)という教えを説いています。

この(他力本願)とは、俗に言う、何もしないで他人の力をあてにするという意味ではありません。

浄土真宗本願寺派の(他力)とは、(阿弥陀如来の大きな力に頼って救われる)という意味なのです。